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最高裁判所第一小法廷 昭和41年(行ツ)35号 判決 1972年11月30日

上告人

日垣秀雄

外三三名

右三四名訴訟代理人

重松蕃

新井章

被上告人

長野県

右代表者

西沢権一郎

右訴訟代理人

宮沢増三郎

中村勝治

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人重松蕃、同新井章の上告理由について。

上告人らの本訴請求は、要するに、長野県教育委員会教育長の原判示通達が、同県立高等学校教員である上告人らに対し、その職務、勤務、研修その他につき、同通達所定の勤務評定書の様式第二表Bに自己観察の結果を表示すべきことを命じているのは、憲法および教育基本法に違反するものであるから、上告人らにおいて右自己観察の結果を表示する義務を負わないことの確認を求める、というにある。そして、上告人らは、もし同人らが本件通達の定める義務の履行を強制されるとすれば、憲法によつて保障された思想、良心、表現の自由等を害されることとなり、さりとて、その義務を履行しなければ、懲戒その他の不利益処分を受けるおそれがあるので、本訴によつてこの法律上の地位の不安定を除去する必要がある、

と主張するのである。

よつて、按ずるに、所論の表示義務なるものは、それ自体その履行を直接強制されるような義務ではなく、その違反が懲戒その他の不利益処分の原因となるにすぎないものであるから、本訴の趣旨とするところを実質的に考察すれば、上告人らの過去もしくは将来における右義務の不履行に対し懲戒その他の不利益処分が行なわれるのを防止するために、その前提である上告人らの義務の不存在をあらかじめ確定しておくことにあるものと解せられる。

ところで、具体的・現実的な争訟の解決を目的とする現行訴訟制度のもとにおいては、義務違反の結果として将来なんらかの不利益処分を受けるおそれがあるというだけで、その処分の発動を差し止めるため、事前に右義務の存否の確定を求めることが当然許されるわけではなく、当該義務の履行によつて侵害を受ける権利の性質およびその侵害の程度、違反に対する制裁としての不利益処分の確実性およびその内容または性質等に照らし、右処分を受けてからこれに関する訴訟のなかで事後的に義務の存否を争つたのでは回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等、事前の救済を認めないことを著しく不相当とする特段の事情がある場合は格別、そうでないかぎり、あらかじめ右のような義務の存否の確定を求める法律上の利益を認めることはできないものと解すべきである。

本件において原審の確定するところによれば、本件通達は、第二表Bの自己観察ならびに希望事項欄の記載方法として、自己評価に基づき、たとえば「学校の指導計画が適確に実施されるようにくふうしているか」、「分掌した校務を積極的に処理しているか」、「熱意をもつて仕事にうちこんでいるか」というような第二表Aの観察内容やBの各項目等を参考にして、つとめて具体的に記入することと定めているにすぎない、というのであつて(通達別冊第二項(二五))、その文言自体、これを最大限に拡大して解釈するのでなければ、記入者の有する世界観、人生観、教育観等の表明を命じたものと解することはできない。してみれば、本件通達によつて記載を求められる事項が、上告人らの主張するような内心的自由等に重大なかかわりを有するものと認めるべき合理的根拠はなく、上告人らがこれを表示しなかつたとしても、ただちに義務違反の責めを問われることが確実であるとは認められず、その他、上告人らにおいて不利益処分をまつて義務の存否を争つたのでは回復しがたい重大な損害を被るおそれがある等の特段の事情の存在は、いまだこれを見出すことができないのである。

所論は、行政事件訴訟法三六条の規定をひいて、権利侵害のおそれさえあればその予防のための訴訟を広く認めるべきであると主張するが、前記説示に照らして採用することができない。

以上により、上告人らは、将来における不利益処分を防止するために、あらかじめ本件通達の定める自己観察の結果の表示義務を負わないことの確認を求める法律上の利益を有しないものというほかなく、本訴はこの点において不適法たるを免れない。したがつて、これと結論を同じくする原判決は、その余の所論の当否について判断するまでもなく相当であつて、その違法をいう論旨は理由がない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主のとおり判決する。

(大隅健一郎 藤林益三 下田武三 岸盛一)(岩田誠は退官につき署名押印することができない)

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